浅間国際フォトフィスティバル2026
御代田写真美術館で開催された浅間国際フォトフィスティバルへ
9月上旬から続く秋の長雨が屋外展示も多数あるために足を鈍らせていたが最終日目前の滑り込みで鑑賞してきた
東京では写真イベントや展示会はたくさん行われているのにあまり出向かなかった。(春にユージン・スミスはちゃんと行ったけど)
だのに、長野では貴重な写真展示会となると足が向く不思議。
東京にいた頃の溢れた贅沢に気づかず「いつでも行ける」と勘違いし、好きなアーチストだけばかり追いかけていたから、もったいないことをしていたんだなと。
諏訪には美術館はたくさんあるけれど写真の美術館はないし、写真作品に触れる機会がめっぽう減っている。貴重な写真展はもう見逃さずにおきたい。
初めて訪れた御代田写真美術館
ガーデニングが整えられ、いくつかのワークショップと飲食店とともにMMopというショッピングモールとなっている
写真は屋内と屋外、さらに屋外は有料無料エリアに離れ、たくさんの展示があった
数々のアート写真を見て心が触発されないわけがない
モノクロに切り替えて屋外作品を撮影
あまり感情を乗せず、しっかりと整え、視線が巡ったあと整然さに落ち着くイメージで撮ってみた
SNSの盛況とカメラメーカーの煽りもあり
映える場所、映えるイベントを綺麗に上手く撮られ現像された写真や
無機質な構造美を際出させる写真とか、
日常を切り取り、感情を乗せた雰囲気を醸し出す写真が溢れていているが(自分もその類だ)
創造としての文脈を持った作品としての写真は、個性溢れ自由で解放され、一般的なジャンル分けとかとは異質で別の領域
すでに創作の段階から写真という現実認識の表現という概念から解放されている
見る者が受ける影響と作品への問いかけ
作品の善し悪し、好きか嫌いかなんて
個人の経験値と価値観から勝手に決められてしまうもの。
もちろん多く経験すればいろんな価値感を育むことができる。
作品への感情の共感や移入といったこともあるかもしれないが
作品へ自ら問いかけることがない限り、人間の脳は解りやすい方を好んでいく
そう、簡単にぱっと見で評価する
しかし現代アートの作品は表面的に見えている部分が作品の本質ではない
もっと奥が深く、人の心の中で起こる作用の方を設計している
何を見ていたいのか?何を聞いていたいのか?何を知りたいのか?何を考えたいのか?
つまりは
どう生きたいのか?
『自分が撮りたい写真に悩みが生まれた有意義な時間』を過ごした
パウル・クレーがいう「天才とはシステムエラー」
リミッターが外れた創造の自由を手に入れてみたい(笑)












コメント
コメントを投稿